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陵は閑散としているのを残念に思った成都の明王が元の武 候祠を廃して劉備を中心とした今の様式に近い新たな武 候死祠を建てた。その後明末清初の戦乱に巻き込まれて 廃墟となったものを再建し、今の武候祠を再建する。清の 乾隆帝の時代に、臣下よりも君主を重んずるべきだという 考えから、大門にでかでかと「漢昭烈廟」、漢蜀王朝、劉 備の廟であると掲げたが、孔明を慕う一般の人はずっと武 候祠と呼び続け、今に至っているという。劉備には少し気 の毒なエピソードである。 www.wuhouci.net.cn 25