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- 55 - 結果、公民館全滅(スポットなら借りられる)、他は利用料が高額でダメ。 この頃、高橋さんが青少年の活動に理解がありそうな某I 市会議員を訪ね相談に乗っても らった。「市役所の青少年課または社会教育課を訪ねてみたら」とのアドバイスがあり、そ こで青年婦人会館を紹介され、以後閉館になるまで、ずっと使わせていただきました。青 年婦人会館も昭和50 年開館でした。 練習も順調に?に滑り出したある日の出来事、某T 先生から呼び出しがあり唐突に、「3 日で潰れるからやめなさい、浜松市民…なんておこがましい」と説教され、我々はさらに やる気が高まったのをおぼえています。 そんなころ、青少年課より「浜松市芸術祭がある」との事で私は早速参加申し込みに行 ったが、「吹奏楽は芸術祭に適していないし、前例がありません…!」という理由で断られ ました。何という野蛮な街なんだ!幹事一同怒り心頭。その年は参加を断念し、翌年某I 市会議員の後押しでやっと参加が認められたのですが、演奏後担当者よりマラカスを使っ た曲(ジャマイカ民謡組曲)は不謹慎としかられました。 エピソードは数限りなくありますが、「あれから40 年!」私の頭も白くなりました。 今思えば、団の運営は苦労の連続でしたがみんな若かったし燃えていた、その情熱の結 集が今日の礎になったのではないか、その片棒を担いだことを誇りに思います。 40 年前の市吹 ホルン 小林 照治 高校を卒業した頃、よく母校の吹奏楽部に遊びによっていました。 ある日もホルンの後輩のところにいると、顧問のY 先生から「ホルンの生徒2 人が社会 人バンドのエキストラを頼まれたから、帰りに送っていってほしい」と頼まれ、連れて行 ったのが浜松市民吹奏楽団との出会いでした。以後、なんとなく練習に通うようになり、 振り返れば約40 年間という長期にわたるお付き合いとなりました。 当時の市吹は「犬のおまわりさん」がなんとか止まらず演奏できるレベルでしたが、組 織はとてもしっかりしていて、団の「規約」が当初からありました。当時、他の市民バン ド交流のため「市民バンド連絡協議会」と称する会議が静岡や焼津などで開かれていて、 よく参加していました。その中で話を聞くと、規約があるような団体はとても少なく、驚 いたものでした。また、社会人のバンドのあり方を当初から追求していて、学生のバンド