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- 58 - 創立40 周年によせて 特別顧問 川合 秀和 1975 年(昭和50 年)に産声を上げて「ヨチヨチ」歩きの市吹が暗中模索、五里霧中、七転 び八起き、起死回生、紆余曲折等総ての四字熟語を経て現在の「ビッグバンド」になった のを団員の誰が予測したでしょう。 第1 回の練習日には参加者がわずか14 名でした。初舞台のフラワーパークでも37 名、 将来が大変心配でした。第1 回定演では65 名、観客1350 名で大変盛況で団員一同「がん ばろう」という決意で安堵の胸を下ろしたのを今でも記憶しています。 楽しいことも随分あって、天竜区の旧吉沢小学校での合宿や和地山グランドでのソフト ボール大会等。 なかでもドイツ、オーストリアへの演奏旅行、又両国からの日本への旅行の実現、夢の 様でした。 特筆すべきは、この一大イベントの橋渡しをしてくれたのが故山本雅章氏です。享年56 歳、大変残念で、2003 年(平成15 年)2 月に市吹メンバーと大阪まで偲ぶ会へ参加させても らいました。 3 回目の訪独だったと思いますが、ドイツ食に飽きていた折に山本さんが「自宅へ来たら」 と、声を掛けてくれて、数人で路線バスに乗って行きました。不安でしたが、バンドの通 訳者(近田さん)が同行してくれて無事に辿ることが出来、そこでの食事、なんと素麺でし た。その旨かったこと、一服の清涼剤ならぬ一服の清涼食でした。今でも忘れません。山 本さんのことを記すと枚挙に遑がありません。 他にも第3 代団長(顧問)有海氏(発起人メンバーの一人)、第6 代団長鈴木氏、顧問新間 氏、何れも私より若い方が他界しています。記念誌の文面には不謹慎かと思われますが、 この方たちの礎があればこそ今の市吹があるものと確信しています。 それと忘れてはならないのが塚本さん一家(父、長男、次男)の市吹に対する寝食を忘れ た献身的努力を感謝しなければならないと思っています。 他にも第2 代団長増田氏、第4 代団長(現特別顧問)の近田氏、第5、7 代以後の高橋氏(10