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「私が欲しくない?」 「きみはとても魅力的だよ。たいていの男が、きみを自分のものにしたがると思う」 真理子の言葉の意図がわからなかったので、ぼくは慎重に言った。 「あなたの彼女になってあげてもいいわ。だけど、私があなたの彼女になったら、私はあなたの全てを取るわよ。全部、奪い取っちゃうわよ」 ぼくはある噂を思いだした。十歳も年上の彫刻家と、真理子は交際を続けていて、その彫刻家が制作中の裸婦像のモデルになっているという噂。 「きみにはもう彼氏がいるんじゃないのかい?」 「どうかしら?」 「どうかしらって…」 「杉崎くん。今から私に着いてきてくれる?」 「え?」 「会わせたい人がいるのよ」 ぼくと真理子が向かったのは、海沿いに建つNヶ浜病院。受付を済ませると、真理子は三階の西病棟へと向かった。病室へ入ると、痩せた背の高い男が、ベッドに横になっていた。 「彼は彫刻家だった。そして、確かに私たちは付き合っていたわ」 彫刻家はベッドに横たわり、ただ天井を見上げていた。生命の輝きは消えていた。 この男は、生の側よりも、すでに死の側にいるのだ。 「現実は残酷だし美しくもないのよ」 真理子は言った。 「脳腫瘍よ。もう三回も手術を繰り返している。はっきりとした意識が戻ることは、もうないの。私のこともわからないし、ただこうして横になっているだけなの。医療費の一部は、私が負担している」 「だから、きみはバイトなんてしていたのか」と、ぼくは言った。 今年のN展の締切が迫っていた。真理子は昨年以上の大作に取り組んでいたが、悩み、描き倦んでいた。いつもの喫茶店にぼくを呼び出して、真理子は言った。 「絵画への情熱はある。だけど、私は天才なんかじゃないの。すでに完成された絵画の技術をおさらいしているだけ。そこにオリジナリティはないの」 真理子の正直な告白に、ぼくは少したじろいだ。 「だけど、天才少女とか言われて、もてはやされている。それはきっときついことなんだろうね」 ぼくは注意深く言った。 「想像以上にきついわ」 真理子は溜息をついた。 「本当の天才とは、あの人のことを言うのよ」 「病院にいる彼のことだね」 「そう。認められることはないけれど、あの人の彫刻にはオリジナリティがある。あの人は本物の芸術家なのよ」 N展に出品するはずの作品は、一向に進まなかった。真理子はかなりナーバスになっていた。