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70 っていた。父の前の店舗を通り過ぎながら、父に弁当を届 けるのが大嫌いだったあの日々を思い出していた。ぼく は、父が嫌いだった。肉屋を営む父が嫌いだった。 小学校の夏休み、ぼくはよく父の肉屋で手伝いをしてい た。お客が来店するなり、ただの牛の筋肉の塊にしか思え ない高級な和牛が並ぶガラスケースを拭きながら、愛想よ く接客していた。お金持ちの友達、特に当時好きだった親 が高名なお医者さんの女の子が店に来るときなんかは、恥 ずかしくて.が熱るのを感じていた。父はぼくの気恥ずか しさなぞ気づかずに、ナイフや機具を洗いながらにこやか な笑みを絶やさなかった。閉店後床を掃除しているときな んか、イタチとネズミが小さな肉の塊をくわえて走り去っ ていくのを見るのがざらだった。それを見ながら、ぼくは シミだらけの黒いエプロンで油まみれの手を拭っていた。 だから母が父に弁当を持っていくように言ったその日、 ぼくは友達と待ち合わせてるふりをして、スターバックス に一人で行きコーヒーを飲んでいたかった。そうは言って も、新しい肉屋は父の夢の一つであったから、ぼく自身も