【DO!BOOK・ページリンク】
c000000013   6 / 8

BOOKをみる

10秒後にBOOKのページに移動します


6 ●柏崎公会堂喬柏園の歴史や建物にについて教えて下さい。 柏崎公会堂喬柏園について話す上で、高橋忠平(ちゅうべ い)なしに語ることはできません。 高橋忠平は1870 年(明治3年)旧野田村生まれで、1908 年(明 治41 年)にシンガポールに定住、呉服商越後で財を成し、大正時 代末期には故郷柏崎に帰り、自宅を今の場所に立てた高橋忠平亡 き後、柏崎町へ庭園や附近の土地が寄付されて1938 年(昭和13 年 )に柏崎公会堂として建てられた物です。 その当時は柏崎町で集会する様な施設は無くて、柏崎小学校を集 会施設として使っていましたが、年間200 回も使われる様になりま した。小学校の学業にも影響を与える事を懸念して柏崎町が高橋 忠平氏の寄付を使って集会場所を作る事になったそうです。 建設当時は一階に食堂、二階にはホールのある洋館で、外には喬 柏園があり市民の憩いの場所だったそうです。 戦時中は、帝国石油が疎開で事務所に柏崎公会堂を使っていたために市民は使う事ができませんでした。 戦後は趣味などの集まりや、日本酒品 評会、ダンスパーティー、成人式会場 に使われており懐かしく思う方もいる そうです。 今の市役所に移転するに当たって10 年間くらい一時的に市議会をここで開いていたので市民の使用に制限がかけられていました。 市役所移転後には産業文化会館や市民会館の様な集会する場所が増えて、柏崎公会堂を使う人が減ったそ うです。 そして今は裏手の駐車場になっている所に庭や邸宅があったが、中越沖地震で建物も被災し庭園や邸宅は 崩れた結果、駐車場にしたそうです。 そんな折、市役所では市民活動センターをどこに置くか検討した結果、柏崎公会堂に決まり耐震工事し柏